みるく工房飛鳥通信 西井牧場のasukaの独り言
牛歩の遍歴 四十七歩目
その日の仕事を終え夕食を済ましたときに「電話」とシェフが俺を呼ぶ、「日本から」とニコニコしながら書斎から出てきた、電話にでると受話器の向こうから「どねんしてるん」って聞きなれた声が、C子だった「よう国際電話分かったな」と俺は言うと「あたり前や、子供じゃあるまいし」といつもの口調だ、たわいない話をしていると何故か目頭が熱くなってきた、しだいに涙がこみ上げ遥か日本が懐かしく会話が出来なくなってしまいもっと話がしたかったのに「ホームシックになってへんか」のC子の言葉にもう声を出すのがやっとで「そんなものなってないわ、じゃ、またな」って電話を切ってしまった、その後で部屋に戻った瞬間に涙が止まらなくなったのを記憶している。5月、まさにホームシックにかかってしまったのだ。
数日後、C子から小荷物が届いた、その中には日本のお菓子や雑誌と歌を録音したカセットがはいっていた、その中で最も印象にあったのが「いい日旅立ち」そう、百恵ちゃんの歌だった、あの時に聴いたこの曲はものすごくインパクトがあった、いまでもこの曲を聴くと当時のことが蘇ってくる、それほど感動したものだった。
日中は機械の取り扱いも慣れて草刈と取り入れで追われ、いよいよ、草を刈った後の草地に杭を打ち込んで電牧を張り巡らす仕事に入った。杭を1輪車に乗せて一本、一本、杭を打ち込んでいく、慣れない俺には非常に辛い仕事だ、手に豆をこさえながらでも打ち込んで行く、しかし出来上がった時の喜びは何事にもかけがえのないものだった、そこに牛が放たれ美味そうに草をほおばる姿みるとあの時の苦労も忘れてしまう。
しばらくの間、牛が草を食べる分だけ放牧の広さを変えていく日課が続いたのである。