みるく工房飛鳥 心のふるさと明日香って・・「ほっと・・」するよね 自然がいっぱい 言いあらわす事のできない 安堵感があるのは私だけ 疲れた時 むなしい時 かなしい時 たのしい時 ふり返れば、そこには いつも明日香がある
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m.asuka牛歩の遍歴 進めるところまで進みます。
みるく工房飛鳥通信 西井牧場のasukaの独り言
  さすがに蒸し暑い!!梅雨と言うのに雨らしい雨が降らない。 牛達も、今年の暑さに「モーたまらんわ」って言ってるかのように思える、 全国的に牛乳、脱脂粉乳、バターが不足だそうだ、 牛乳は、原乳不足より販売制限が出されそうな動きで 農水省や畜産振興事業団は脱脂粉乳やバターなど輸入・放出を決めたらしい。 不足したら輸入できる裕福な日本、もっと、抜本的な対策がないのか? 生産者あっての日本にならないものか? 蒸し暑い中、考えてしまうよなぁ。
牛歩の遍歴 二歩目
  いよいよ、香久山幼稚園入園と言っても記憶がさだかでない、 あの頃は小学校と同じ敷地にあり、木造の平屋の二部屋しかない小さな建物だったけど、幼児だった俺からは、ものすごく大きくまた、部屋は広く見えたものだ・・・ あの香久山の向こうにある、片道1,5キロ程の通園、母親に自転車で連れられて行った事さえ覚えがおぼろげだ、今のように道が舗装されてなく、登りと下りはでこぼこの山道だったので、ほとんど歩いていたのを思い出す。香久山のゴツゴツとした道から突き出た岩が、怪獣が行く手を阻むかのように思え岩を避けながら歩いたものだ、ちょっとした油断で足を取られ生傷がたえなかった。
母親と一緒と通園したのもほんの数日だけ、相変わらずの忙しさだ、その後は村の小学生の人達と一緒に登校、いつもみんなについて行けずに列から離れた 俺に「はよ来い」よって、面倒を見てくれてたのが兄だった、この兄にこれから先、色んな面で助けてもらう事になる。 あの頃は、照れ屋で引っ込み思案で、みんなでお遊戯なんかできなく、輪に溶け込めなかった、唯一楽しみは、おやつの時間だった、田舎者の俺には貰えるものが新鮮味があり何故か記憶にある。 幼稚園も二年目に入ると、あまり構ってもらえなくなり、梅雨時の今頃なんか、子供用の傘なんてなく、大きな傘を持って通園していた、風の強い時など傘を支えられないので傘をささずにずぶ濡れになって帰ったこともある。 季節、おりおり、春は蓮華やたんぽぽで輪を作り、夏は蝉やクワガタ、カブトと戯れ、秋はどんぐりを拾い、冬は雪や氷で遊んだもので。 あっと言うまの2年間が過ぎてしまった。

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