飛鳥の蘇とは
万葉の時代、飛鳥は日本の首都でした。新益京と呼ばれた藤原京は新しく国家体制もでき、活気にあふれていました。7世紀末の文武天皇の時、天香具山の南では、飛鳥最大の蘇が作られた記録があります。
蘇は牛乳をゆっくりと特殊な方法で煮つめたチーズの仲間ですが、すでに、人々は、牛・馬を食べていますから、貴族の間ではもう少し前から、この妙なる味が知られていたことでしょう。
おそらく、中央アジアの草原のパオの中で生まれた美味な固形物であった蘇は、
はるかシルクロードの道を通り、飛鳥の都へ伝わって来たのです。
当時飛鳥には多くの異国人が住んでおり、彼等が、その製法を伝えたのでありましょう。
ここには、高松塚壁画のような人々が居ましたが、誰もが蘇を口にすることができたわけではありません。
貴族や高級官人など、「日本書紀」の主人公が賓客を迎える夕べの宴を色どったものでしょうし、貴婦人の美容の滋味でもありました。高貴な人々が病に臥すと、薬草とともに蘇の効力にも頼ったのでしょう。
つまり蘇は超高級食料ですが、同時に美容と不老長寿も期待されました。良薬も口に甘しです。したがって黄色の断片は、庶民にとって夢のまた夢の食物でありました。
今日、縁あって古代からの珍味は、あなたの口に入ろうとしています。日本チーズの発生の地で、長い間の苦心によって復原した天香具山の蘇は、舌の上でまろやかにとけていきます。
かつて都が消えてしまったように…。これが万葉の味なのです。
飛鳥の蘇〜誕生秘話
昭和62年(1987年) 2月
奈良国立文化財研究所飛鳥資料館 (現在の奈良文化財飛鳥資料館)当時学芸員室長でした猪熊先生(高松塚古墳の発掘で有名)が牛乳を分けてほしいとヤカンを持って牛舎に訪ねて来られた。
猪熊先生は昭和48年にこの西井牧場の牛舎を建てるときに奈良文化財研究所におられ明日香村の第一回目の発掘調査で来られ、その時からの知り合いでよく存じていたので快く良かったら持って行って下さいと了承・・
二日後、ヤカンを持ってまた来られたので、「こんな小さな入れ物やったらなんぼ入らんから牛乳カンを貸してあげるからここに入れて持って帰ったら」と言って牛乳カンに牛乳を入れて渡したが、ちょっと何を使っているのか疑問に思い「先生、これ何に使っているのですか」と聞くと「一度、資料館へ3時頃来てください」と一言・・いつもながら言葉少なげに話してくれた。
お言葉に甘えて、その日の約束の3時に資料館へ・・と言っても車で5分もかからない所なのですが・・玄関の受付で約束の事を告げると裏の駐車場から入って来て・・と言うことなので裏へ車で回り降りると・・あ〜〜何とも言えぬいい香りが・・何か香ばしい、甘い感じの香りが漂う、いったい何やろ〜駐車場から資料館の裏門の扉まで急な坂道だったが足取りが速くなっていた。
扉を開けると先生が出迎えてくれた、「まぁ〜こっちへ」と言って研修室に案内され、その扉を開けると「あぁっ」瞬間にあの香りが部屋中に立ち込めている・・
先生、「これは何です?」学芸員の方々がコンロに鍋をかけて牛乳をかき混ぜながら煮込んでいる・・・
「これは蘇と言って古代、飛鳥時代に食されていたものです」と先生が・・
「年貢としてこの明日香に収められ貴族や貴婦人しか食べられなかった」と説明して下さった、食べてみると今まで口にした事がなかった味わい、香ばしい香りの中に口の中でまったりと溶け始め、キャラメルのような?でも違う、何とも言えない美味!!
「この5月に万葉の衣・食・住 展のイベントを企画しているので食の方でこの蘇を皆さんに食べてもらおうと思っています」との先生の言葉、「これ、うちでも作れますかね」と尋ねると「とにかくやって見てごらん」「やらないとわかりません、出来る事があったら応援します」と先生の強いお言葉に、「よっしゃ〜」と言う事で5月のイベントと同時販売を目標に翌日から蘇の製造準備を開始したのだが・・
何から始めたらいいか?
蘇のパッケージは学芸員の方が当時岩本先生が万葉集から字体をピックアップして箱のデザインから手掛けてくださった、後は商品を作るのに小さな鍋で手でかき混ぜている余裕がないから機械を導入し・・食品衛生の許可もとらないと衛生保健所へ向かう・・
保健所いわく「もう加工所の工事は出来てるのですか」って、「まだこれからですよ・・」「じゃ〜出来たら来てください」って、出来てから申請を出していたら5月に間に合わない!!
「でも、決まりですから・・」このために5月の目標が大幅に遅れ6月に販売開始となってしまった・・
「万葉の衣・食・住 展」は予定通り5月いっぱい1ヶ月間行われた・・
その時にマスコミの取材で「この蘇は再現されます」と先生のがおっしゃってくださったので、マスコミの取材がこちらに来られたが商品はまだ製造できず、試作品でその場をとりつくろった感じになってしまった・・
いよいよ6月、何回も試行錯誤しながら販売までたどりつく事ができたが、その頃にはもう蘇の噂と言うのはかなり下火になっていた、また明日香村も梅雨とかさなりシーズンオフに入っていた、明日香村で何とか商工会の方にお世話になり2店舗だけおかしてもらえる所を紹介して頂きスタートです・・
その秋の観光シーズンにマスコミが明日香の取材に入って来られ「飛鳥の蘇」の商品に興味をもたれしだいに口コミで広がって行きテレビ・雑誌などに取り上げられるようになってきた・・
翌年 昭和63年 奈良市で行われたシルク博覧会で話題になり今に至っているが、お客様の声をもとに蘇も最もお客様に親しまれるように改良に改良を加え、お客様の信頼を損ねない商品をモットーに今も喜ばれる商品作りに励んでいます・・
最近では蘇も類似品が出始め蘇の信頼感が無くなりつつありますが、「飛鳥の蘇」は長年にいたりお客様との信頼で作り上げられた商品なのでお客様の期待に応えられるようこれからも地道でありますが作り続けていきますので宜しくお願いします。
みるく工房飛鳥 by 西井牧場
代表 西井